名古屋地方裁判所 平成6年(行ウ)34号 判決 1995年10月27日
原告
富田定良
同
大竹一弘
同
高橋健
同
尾崎強
同
尾藤裕子
同
山田陽子
原告兼相原告ら訴訟代理人弁護士
滝田誠一
同
西野昭雄
同
杉浦英樹
同
鈴木良明
同
柘植直也
右原告ら訴訟代理人弁護士
今井安榮
同
小関敏光
同
佐久間信司
同
新海聡
同
進藤裕史
同
高山光雄
同
竹内浩史
同
平井宏和
同
福島啓氏
同
増田聖子
同
松川正紀
同
山根尚浩
被告
鈴木礼治
同
浦上和彦
同
角岡照一
同
秋山進志
同
青山英次
同
島崎勉
同
近藤俊夫
右七名訴訟代理人弁護士
佐治良三
右七名参加人
愛知県知事
鈴木礼治
右訴訟代理人弁護士
片山欽司
同
高橋太郎
同
後藤武夫
右指定代理人
西村眞
外一四名
被告
奥田信之
右訴訟代理人弁護士
建守徹
被告
寺西学
右訴訟代理人弁護士
木本寛
同
伊藤義豊
同
寺澤弘
右訴訟復代理人弁護士
玉田斎
被告
大成建設株式会社
右代表者代表取締役
山本兵藏
右訴訟代理人弁護士
瀧川治男
同
藤井成俊
同
齋藤文司郎
被告
株式会社大林組
右代表者代表取締役
津室隆夫
右訴訟代理人弁護士
鈴木匡
同
大場民男
同
鈴木雅雄
同
堀口久
被告
鹿島建設株式会社
右代表者代表取締役
宮崎明
右訴訟代理人弁護士
山本一道
右訴訟復代理人弁護士
鈴木和明
被告
清水建設株式会社
右代表者代表取締役
今村治輔
右訴訟代理人弁護士
山岸赳夫
同
栁田潤一
被告
株式会社鴻池組
右代表者代表取締役
鴻池一季
右訴訟代理人支配人
堀田宗男
右訴訟代理人弁護士
河上幸生
被告
戸田建設株式会社
右代表者代表取締役
戸田守二
右訴訟代理人弁護士
入谷正章
同
山﨑正夫
被告
矢作建設工業株式会社
右代表者代表取締役
山田文男
被告
大井建設株式会社
右代表者代表取締役
亀井光郎
右両名訴訟代理人弁護士
石原金三
同
花村淑郁
同
杦田勝彦
同
石原真二
同
北口雅章
同
林輝
被告
小原建設株式会社
右代表者代表取締役
小原睦
右訴訟代理人弁護士
黒河陽
主文
一 本件訴えを却下する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告大成建設株式会社、同株式会社大林組、同鹿島建設株式会社、同株式会社鴻池組、同戸田建設株式会社、同矢作建設工業株式会社、同小原建設株式会社、同大井建設株式会社は、愛知県に対し、各自金二九億五八五三万八〇一〇円及びこれに対する別紙記載訴状送達の日の翌日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 被告鈴木礼治、同奥田信之、同浦上和彦、同角岡照一、同秋山進志、同青山英次、同島崎勉、同近藤俊夫、同寺西学は、愛知県に対し、それぞれ金一億円及びこれに対する別紙記載訴状送達の日の翌日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
第二 事案の概要
一 本件は、愛知県と被告建設会社九社からなる共同企業体とが愛知県芸術文化センター(以下「芸文センター」という。)の建設工事に関し、平成三年七月九日に締結した総額二九億五八五三万八〇一〇円を追加増額する旨の工事請負変更契約(以下「本件変更契約」という。その代金は、平成四年三月三一日までに全額支払われた。)が違法、無効であるとして、地方自治法(以下「法」という。)二四二条の二第一項四号により、右九社(以下「被告JV九社」という。)等を被告として提起した住民訴訟であり、その請求原因の概要は、次のとおりである。
1 本件変更契約の違法性
本件変更契約は、元の請負契約によっては認めることのできない被告JV九社の赤字補填をするためになされたものである。しかも、主として項目毎に工事単価を水増ししたり、本来被告JV九社が負担すべき工事を変更項目に組み入れるなどして行われたものであって、愛知県知事に認められた裁量権の範囲を著しく逸脱し、違法、無効である。
しかも、本件変更契約については、県議会の議決を経てはいるが、右のような重要な事実を隠蔽した上で形式的な審議を行ったのみであって、実質的には、県議会の議決を経たものとはいえないから、法九六条一項五号、二条一五項、一六項により無効である。
2 公金支出の違法性
本件変更契約が違法、無効である以上、それに基づく被告JV九社に対する増額代金の支払自体、違法、無効であり、それによって愛知県は、同額の損害を被った。
3 被告らの責任
(一) 被告JV九社
(1) 被告JV九社は、本件変更契約の内容が前記のようなものであることを熟知しながら、県会議員である被告寺西学を通じて県に働きかけるなどして、本件変更契約を締結させ、もって愛知県に増額代金を支払わせ、同額の損害を与えた。
(2) また、被告JV九社は、違法、無効な本件変更契約に基づき、その増額代金の支払を受けたことにより、法律上の原因なくして同額の利得を得た。
(二) 被告浦上和彦、同角岡照一、同秋山進志、同青山英次、同島崎勉、同近藤俊夫は、平成二年から平成三年当時、愛知県建築部又は総務部の幹部職員として芸文センター建築工事に関する事務を担当していた者であるが、本件変更契約が被告JV九社の赤字を補填する目的のための違法、無効な契約であることを知りながら、あるいは当然に知ることができたにもかかわらず、共同して追加変更予算を作成し、県議会に対し事実を隠蔽した上、予算を成立させて違法に公金(増額代金)を支出させたものであり、同被告らの行為は、愛知県に対する共同不法行為に当たる。
右被告らは、愛知県に対して、被告JV九社とともに共同不法行為責任を負うものであるから、法二四二条の二第一項四号後段にいう「怠る事実に係る相手方」に該当する。
(三) 被告鈴木礼治
被告鈴木礼治は、愛知県知事であるが、故意又は過失により、愛知県建築部等の幹部職員が右のように違法な赤字補填を目的として本件変更契約を締結し、違法に公金を支出した行為の監督を怠り、愛知県に対し、増額代金相当の損害を与えたものである。
(四) 被告奥田信之
被告奥田信之は、愛知県副知事として、知事を補佐し、職員の担当する事務を監督する職務に従事し、総務部等の事務を他の副知事と共同で、建築部の事務を専属で、それぞれ担当、掌理していたものであるが、故意又は過失により、建築部等の幹部職員が右(二)のように赤字補填の目的で違法、無効な契約を締結し、違法に公金を支出させた行為について監督を怠り、愛知県に増額代金相当の損害を与えた。
仮に、右被告が、法二四二条の二第一項四号前段にいう「当該職員」に該当しないとしても、右被告は、愛知県に対して、被告JV九社とともに共同不法行為責任を負うものであるから、同号後段にいう「怠る事実に係る相手方」に該当する。
(五) 被告寺西学
被告寺西学は、県会議員として、被告JV九社の担当者から依頼を受け、本件変更契約が被告JV九社の赤字を補填するための違法、無効なものであることを知りながら、あるいは当然知ることができたにもかかわらず、敢えて建築部等の幹部や被告奥田に働きかけ、愛知県に増額代金を支出させ、もって、代金相当額の損害を与えた。
右被告は、愛知県に対して、被告JV九社とともに共同不法行為責任を負うものであるから、法二四二条の二第一項四号後段にいう「怠る事実に係る相手方」に該当する。
4 原告らは、平成六年一〇月五日、本件工事に関して愛知県の受けた損害の填補等を求めて、法二四二条により住民監査請求(以下「本件監査請求」という。)をしたが、行為のあった日から一年を経過しており、また、その点につき正当な理由はないとして請求を却下された。
5 よって、原告らは、愛知県に代位して、被告JV九社に対しては、各自、不法行為による損害賠償金の支払又は不当利得金の返還として、二九億五八五三万八〇一〇円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日(別紙記載のとおり。)から支払済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をすることを求め、その余の各被告に対しては、各自、不法行為による損害賠償として、右損害金のうち、一億円及びこれに対する別紙記載訴状送達の日の翌日から支払済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をすることを求める。
二 本件訴えの適否に関する当事者の主張
1 原告らの主張
(一)(1) 法二四二条二項は、本文において厳格な期間制限を設けた上、ただし書において「正当な理由」の存在を条件に、その期間制限の適用を除外している。これは、監査請求期間を経過するという意味では法的安定性を害しても、なお監査請求を認めるべき必要性があること、すなわち、法の定めた住民監査請求の存在意義が、法的安定性の要請を超えることがあることを認めたものである。
以上の法の趣旨に鑑みれば、監査請求者が法定の期間内に住民監査請求を行うことが客観的に不可能又は困難であったときには、「正当な理由」があるといわざるを得ず、その「正当な理由」の有無の判断は、法二四二条二項本文の規定する監査請求期間経過後であっても監査請求を認めなければ社会正義に反し、当該事例において監査請求ひいては住民訴訟の制度を無意味なものにするかどうかを基準としてなされなければならない。
これを具体化すれば、「正当な理由」が認められるべき要件は、請求者本人が当該行為の存在あるいはその違法性を知っていたかどうかによって、次のとおり分説でき、
① 請求者本人が当該行為の存在及びその違法性を知っていたときには、天変地異による交通途絶など客観的・物理的に監査請求が不能であったか又は法二四二条一項の規定する事実を証する文書を入手できない客観的事情が存在した場合であって、これらの障害がなくなってから相当な期間内に監査請求をしたかどうか、
② 請求者本人が当該行為を知らなかった場合又は当該行為の存在は知っていたが、その違法性を知らなかったときには、その行為が住民に秘密裡に行われた等の理由により、平均的住民がその行為又はその違法性を知ることができなかった場合であって、平均的住民がその行為の存在及びその違法性を窺わせる事実を知ることができ、かつ、それらの事実を証明するための資料を入手することができるようになったときから相当な期間内に監査請求をしたかどうか
によって、判断されるべきである。
本件は、右②の場合に該当するが、その要件の一つは、当該行為又はその違法性を客観的に知り得ない又は知ることが困難な状況であったということであり、「秘密裡になされた」ということは、右状況に至る理由の一つの例示に過ぎない。また、法令の定める手続を踏んでいるような形式を整えながら、実質的には脱法行為を行うようなケースが散見され、議会の審議や住民への情報公開が空洞化している現状からすると、当該行為又はその違法性を客観的に知り得なかったかどうか又は知ることが困難であったかどうかの判断を、当該行為が法令の定める手続に単に形式的に合致してなされたか否かにより行うと、多くの監査請求を不当に制限することになり、法がただし書を定めた趣旨を没却することになるから、右判断は、具体的事案により個別になされるべきである。また、当該行為の違法性、不当性を窺わせる事情が隠蔽され、住民がこれを知らない限り、住民は監査請求をすべき動機付けを得られないのであるし、監査請求には、当該事実を具体的に特定して記載し、かつ、「証する書面」を提出しなければならないところ、違法性、不当性を窺わせる資料を入手できない限りは、適式な監査請求もできないのであるから、当該行為の存在を知っていても、その違法性を知らなかった場合には、その違法性を窺わせる事実を知り、かつ、これらを証する資料を入手してから相当な期間内に監査請求をすれば、当然に「正当な理由」が認められてしかるべきである。さらに、相当な期間について、法はただし書適用の場合の新たな期間制限を明示的に規定していない。したがって、その期間が一年以内であることは確かであっても、当該行為の内容、その違法性、不当性を窺わせる事実の根拠(証拠)如何により事案ごとに慎重に判断されるべきであり、一律に一か月以内とは判断し得ない。
(2) 以上の基準を本件にあてはめてみると、原告らは、本件変更契約締結時には、当該行為の違法性を知らなかったものであり、これは平均的住民も同様であって、しかも、原告らは、平均的住民が右違法性を窺わせる事実を知ることができ、かつ、それらの事実を証明するための資料を入手することができるようになった平成六年九月一六日頃からわずか二〇日後の相当期間内に監査請求をしたものであるから、本件監査請求には、「正当な理由」が存在し、適法というべきである。具体的には以下のとおりである。
① 本件変更契約締結時(平成三年七月九日)には、原告らを含め、平均的住民がその違法性を知り得なかったことについて
(a) 本件変更契約の執行議案(以下「本議案」という。)は、平成三年六月の定例県議会に第一三〇号議案「工事請負契約の変更について」として提案され、同年七月八日に議決を経たが、その経緯は、次のとおりである。
同年六月二四日に提案された本議案は、請負契約金額を変更するという内容で、その説明にも「設計変更に伴い工事請負契約を変更する必要があるから」というだけで、その具体的内容は全く説明されていない。
同年六月二四日に開催された本会議での、知事による議案説明においても、「工事請負契約の締結等についての議案二一件……でございます。」というだけで、全く説明されていない。
本議案は、土木建築委員会に付託され、同委員会は、同年六月一〇日と同年七月二日に審議されたが、質疑・応答が一切されないまま、同委員会で可決された。
同年七月三日の総務企画委員会で、三〇億円の工事増額について、県側に質問が出されたようであるが、県側は「所轄は建築部」と答えたのみで一切答弁しなかったようであり、しかも、これらは正式な質疑ではなく、同委員会の議事録には、何らの説明、質疑、答弁も記載されていない。
同年七月八日に開催された本会議においても、本議案は何らの質疑・答弁もなく可決されている。
(b) 本議案のごとく莫大な金額の設計変更契約が、何らの説明、質疑、答弁もなく審議されたのは、被告JV九社と県の担当者の共謀により具体的な説明が隠されたためであり、原告ら住民は、本議案の違法性・不当性を全く知る由もなく、ましてや同年七月九日の本件変更契約締結自体も全く知らなかったものである。
(c) 平成三年六月当時の新聞に掲載された各記事は、いずれも第一面の大きな記事ではないこともあって、原告らを含む県の平均的住民にとっては、それらに注目して記憶にとどめた者はいなかった。しかも、それらは、予想以上に地下鉄の振動が大きく、その騒音を防ぐための追加防音工事に約三〇億円が必要となったというものであり、同年七月九日に被告JV九社と県が本件変更契約を締結した事実の記載がなく、それを認識できなかったことはもちろん、それが違法又は不当であること、又は何らかの疑惑があることについて、全く認識できなかった。
② 相当な期間の起算点
本件は、本件変更契約及びこれに基づく支出が、形式的には議会の決定に基づき公然となされた行為ではあるものの、赤字補填を目的としていたという違法、不正な事実が殊更に隠蔽されていたという事案であるが、平成六年六月上旬頃の新聞では、わずかに追加工事について報道されているものの、追加工事と赤字補填の関連性についての明確な報道はされていない。これらの新聞報道では、そもそも形式的には県議会を通過した騒音防止の追加工事が違法であるのか、違法になるとすればその根拠は何か、違法であるとして、全体が違法になるのか、単にその一部分だけが違法になるのか、一部分だとすればどの部分か(その項目及び金額)、当事者として県側及びJV側では誰が関与しているのか、県議会を通過した議案に基づいて、どのような契約が、いつ誰と締結されたのか等については、全く明らかにされていない。
その理由は、当時はまだ本件についての詳細な調査がなされていなかったためであり、新聞報道の論調も、追加工事が赤字補填のためになされた「疑い」があり、捜査機関が事実を調査中であるのでそれに期待するとの内容に止まっており、補填の具体的内容、方法、客観的なニュースソース等について明らかにされていない。また、本件は、すべて副知事の収賄容疑での逮捕という事件を端緒として世間に注目されたものであり、刑法上、収賄罪が成立するためには、公務員が職務に関して賄賂を収受することをもって足り、不正行為の存否は問われないとされている(刑法一九七条)ことから、行為の不当性、違法性についてまでは、世間的にもまださほど注目されておらず、議論も熟していなかったのである。
したがって、平成六年六月上旬の時点で、平均的住民が、追加工事の違法性についてまで認識し、監査請求をすべき動機付けを得、当該事実を具体的に記載し、それを証する書面を入手して監査請求をすることは到底不可能であり、また、実際問題としても、監査請求書には、違法行為及び当事者を特定した上で、それを一〇〇〇字以内にまとめて提出しなければならないが、この時点でこれらを特定して監査請求書を作成することは不可能であった。
さらに、法二四二条の二は、監査の結果に不服がある場合には、監査請求をした住民は、監査委員の通知を受けてから三〇日(不変期間)以内に裁判所に対して住民訴訟を提起し得ると規定しているが、この規定は、出訴期間を監査の通知後三〇日という極めて短い期間内に限定しているものであり、監査請求をした住民がその監査結果等に不服がある場合でも、三〇日以内に住民訴訟を提起して争わない限り、違法行為に対する不服申立手段はなくなってしまうことになる。訴訟を提起する場合、訴訟要件として、当事者の住所・氏名等を特定し、訴訟物や請求原因事実を訴状に記載して提起しなければならず、これらの要件を欠く訴えは、実体審理に入ることなく却下されてしまうだけでなく、原則として、原告がすべての請求原因事実を証明しなければならず、それができないと、請求が棄却されることになる(証明責任)。とするならば、法二四二条は、仮に監査の結果に不服がある場合には、監査請求をした住民が直ちに住民訴訟を提起し、それを維持し得る程度にまで事実関係の特定が可能であったことを当然の前提としているものと解される。そうでなければ、住民の訴権を不当に侵害することになってしまうからである。したがって、同条二項ただし書の「正当な理由」も、この見地から判断しなければならないところ、前述のとおり、平成六年六月上旬には、訴訟を提起し得る程度にまで具体的な事実は、全く明らかにされていなかったのである。
ところが、同年九月一六日に至り、捜査当局に対して、複数の県幹部が赤字補填を認める供述をしていたことが明らかになり、この時になって初めて実際に設計変更に必要だったのは約一三億円であったにもかかわらず、県側は約二九億円に水増しして予算を組み上げており、その差額約一六億円が赤字補填分であることが明確に報道された。すなわち、それまで一貫して赤字補填を否定していた県側の回答が、その時初めて虚偽に基づくものであったことが明らかになり、当局に押収されているとして、これまで県側が提出しなかった本件に関する資料が、既に処分されていたことも明らかになった。住民は、この時点で初めて本件の概要を知ることができたのであり、それまでの新聞報道と違って、県幹部らの供述調書という客観的なニュースソースが明らかにされ、その信憑性は極めて高いものとなっており、県幹部をも関係当事者とする大規模な疑惑であることを理解したのである。ただし、この時点でも、住民は、刑事事件が確定するまでは刑事記録を閲覧・謄写する権利を有していないため、直接に新聞報道の内容を検証する手段を欠いているという意味においては、違法性の存在を調査して確信し得る状況にあるわけではなく、違法行為の存在を窺わせるに足る事実を知ることができたといい得るに過ぎない。
このように、原告らは、平成六年九月一六日に至って初めて本件変更契約による支出が違法、不当であったらしいということを、具体的な監査請求書に記載して監査請求をし得る程度に事実関係を知ったものであり、その時からわずか二〇日後に本件監査請求をしたのであるから、本件監査請求には、法二四二条二項ただし書にいう「正当な理由」がある。
仮に、平成六年六月上旬頃に、平均的住民が違法性を窺わせる事実を知り得たとしても、関係者が多く、事案が重大であって、情報も新聞報道のみで必ずしも具体的ではなかったのであるから、これから四か月後になされた本件監査請求には、「正当な理由」があるといえる。
(二) また、本件監査請求のうち、被告鈴木礼治、同奥田信之、同浦上和彦及び同島崎勉(以下、以上の被告らを「被告鈴木ら」という。)以外の被告らに対して損害賠償を求めている部分については、愛知県が、被告らに対する損害賠償請求を怠っていることを是正するのに必要な措置を取ることを求めているのであって、少なくとも右部分に関しては、法二四二条二項の期間制限の適用を受けない。
すなわち、原告らの共同不法行為の主張には、被告JV九社が、被告鈴木ら以外の愛知県建築部員等(具体的には、下級職員である被告角岡ら)に働きかけ、専ら被告JV九社と被告角岡らによって、虚偽の内容の見積書が作成され、これらの被告らの虚偽の説明に基づいて、愛知県と被告JV九社との間で本件変更契約がなされて、二九億五八五三万八〇一〇円の支払がなされたような場合も含まれており、その場合には、被告鈴木らに、過失がなく不法行為が成立しない場合も想定でき、その場合、本件変更契約やそれに基づく支出行為自体は違法、無効とまではいえない。しかし、そのような場合でも、被告JV九社と被告角岡らの不法行為は成立する。さらに、専ら被告JV九社だけの主導によって、虚偽の内容の見積書が作成され、本件変更契約が締結され、支出がなされたような場合には、被告鈴木らにも被告角岡らにも過失がなく、愛知県職員らに不法行為が全く成立しない場合も想定でき、そのような場合にも、本件変更契約やそれに基づく支出行為自体は違法、無効とはいえないが、それでも被告JV九社には不法行為が成立する。原告らの主張には、このような場合も含まれている。
これらの場合には、まさに「怠る事実」についての監査請求中に財務会計上の積極的行為の違法、無効を観念し得ないこと、つまり、財務会計上の積極的行為たる本件変更契約又はこれに基づく支出の違法を前提としないことになるから、法二四二条二項にいう「当該行為のあった日又は終わった日」を考えることができず、同項の期間制限の適用を受けないことになる。
したがって、本件監査請求のうち、少なくとも被告JV九社及び被告角岡らに損害賠償を求める部分については、同項ただし書にいう「正当な理由」があるか否かを検討する必要がないものであるから、被告らの本案前の主張は、理由がない。
(三) 被告寺西学の被告適格について
原告らは、監査委員会の補正通知に記載された補正期間内に、被告寺西を監査請求対象者に含める補正をせず、右期間に八日遅れてした補正において含めたものであるところ、右補正期間は、事務手続上のものであり、法的拘束力はないと考えられるから、遅れた補正が無効であるとは到底考えられない。また、右補正においては、愛知県職員の一人として被告寺西を加えたものではない。そもそも、監査請求の対象は、自治体の「職員」であって、「相手方」は監査請求の対象とならないのであるから、本件監査請求書に被告寺西の記載があるか否かと被告寺西の被告適格とは無関係である。
2 被告らの主張
(一) 被告鈴木礼治、同浦上和彦、同角岡照一、同秋山進志、同青山英次、同島崎勉、同近藤俊夫
(1) 本件監査請求は、本件変更契約が締結された日から一年以上の期間を経過してなされたものであり、そのことについて法二四二条二項ただし書の「正当な理由」も認められないから、不適法である。したがって、本件訴えは、適法な監査請求を経ておらず、不適法である。
原告らに右「正当な理由」の認められない根拠は、以下のとおりである。
① 法二四二条二項ただし書にいう「正当な理由」の有無は、当該行為が秘密裡になされたものであるかどうか、普通地方公共団体の住民が相当の注意力をもって調査したときに客観的にみて当該行為を知ることができるようになった時点はいつであるか、及び当該行為を知ることができたと解される時から「相当な期間」内に監査請求をしたかどうかによって判断すべきであるところ、法的安定性の確保という見地からすると、右基準は以下のように解釈されるべきである。
まず、の当該行為の秘密性については、当該行為が法令の定める手続に従ってなされている場合には、原則として秘密性を否定するのが相当である。
また、の要件において、客観的にみて知ることができるようになった対象は、当該行為がなされたという事実のみで足り、その違法性を基礎付ける事実まで知ることを要するものではないと解すべきである。何故なら、違法性を基礎付ける事実まで知ることを要するものと解すると、の要件にいう「相当な期間」の始期が不明確となり、普通地方公共団体の職員等の財務会計上の行為を必要以上に長期間にわたって争い得る状態に置くこととなり、普通地方公共団体の行政運営の安定性を図るという法の趣旨が没却されてしまうおそれがあるからである。
さらに、の「相当な期間」とは、以下の理由から、一か月以内の期間をいうものと解するのが相当である。法二四二条一項及び法施行令一七二条一項によれば、普通地方公共団体の住民が監査請求をなすためには、当該行為を証する書面を添えて文書をもってしなければならないものとされているが、右「文書」は、その要旨を一〇〇〇字以内に記載したものと定められているから、その作成に格別の労力や日時を必要とするものではない。さらに、右「証する書面」についても、別段の形式を要せず、他人からの聞知、新聞記事からの切り抜き等を書面にしたものや、監査請求人作成の文書でも足りるとされているから、その入手又は作成のために格別の労力や日時を必要とするものではない。その上、法二四二条五項によれば、監査請求人には、監査手続の過程において、証拠の提出及び陳述の機会が保障されているのであるから、監査請求をなす時点において、事実関係の把握及び証拠の収集に不十分な点があったとしても、後日これを補正することが可能であり、したがって、監査請求人に対し、当該行為を知ってから、その事実関係全体を詳細に把握し、かつ、すべての証拠を収集するために必要な期間を与える必要はない。民事訴訟において、控訴・上告期間は二週間、即時抗告の期間は一週間と定められていることとの均衡からしても、一か月以上の期間を「相当な期間」と解することは不合理である。
以上の観点から検討すると、本件監査請求は、以下のとおり「正当な理由」がない。
(a) 本件変更契約が締結されるまでの経緯をみると、愛知県は、平成三年二月開催に係る定例県議会に契約金額を二九億五八五三万八〇一〇円増額変更するために必要な予算案を提出し、議会における審議、議決を得た上で、同年六月開催に係る定例県議会において、右増額変更予算の執行議案として、本件変更契約締結の承認を求める議案を提出し、議会における審議を経て、同年七月八日、議決を得た上、同年七月九日、被告JV九社と本件変更契約を締結するに至ったものであり、本件変更契約の締結は、いかなる意味においても秘密裡に行われたものではなく、愛知県関係者が、本件変更契約の締結を秘匿する行為に出たとの事実は全く認められないのであるから、本件監査請求は、「正当な理由」の要件のうち、の要件を欠くというべきである。
(b) 本件変更契約締結のために必要な予算案は、愛知県議会に提出され、公開の議場における審議を経て議決され、しかも、右予算案は愛知県公報に掲載された。さらに、右予算及び本件変更契約の締結について愛知県議会の承認を求めるため議会に提出された議案については、平成三年六月一三日の中日新聞及び読売新聞の各朝刊並びに同月二五日の朝日新聞朝刊で報道されたほか、同年七月四日の中日新聞朝刊においても、相当大きく報道された。
以上の事実と、原告らの一人である今井安榮が愛知県議会議員として右審議に加わっていたものと推認されることからすると、本件変更契約は、議会で承認可決された同年七月八日又は締結日である同月九日において、原告らが相当の注意をもって調査すれば、客観的にみてこれを知ることができたものと解される。
しかしながら、本件監査請求は、平成六年一〇月五日になされているから、原告らが本件変更契約締結の事実を知ることができたと解される時点から、約三年二か月後になされたものというべきである。
そうすると、本件監査請求は、「正当な理由」の要件のうち、の「相当な期間」の要件を欠いていることになる。
② 仮に、「正当な理由」の有無の判断基準を右のように解することができないとしても、次の理由により、本件監査請求には、「正当な理由」がない。
(a) 平成六年五月三〇日の中日新聞朝刊が、「追加工事三〇億円補正以前から疑惑の声」との見出しを付して、愛知県議会の某議員が「基礎工事の段階で赤字になって、その補てんではないかといううわさになった。……」と語り、芸文センターをめぐる疑惑が以前からあったことを指摘している旨報道し、同年六月三日の中日新聞朝刊が、三〇億円に上る芸文センターの追加補正予算に「赤字補てん」分が含まれていたことが明らかになったとして、同月二日に愛知県議会自民党役員室で若手議員が副知事汚職事件の徹底解明を叫んだ旨報道し、同年六月七日の毎日新聞朝刊が、「「三〇億は大成の赤字補てん」元県幹部が証言」との見出しを付して、愛知県副知事のゼネコン汚職事件で疑惑の中心となっている芸文センターの約三〇億円の追加予算が、「大成建設を幹事社とする九社の共同企業体の赤字を補てんする目的で組まれていた」と元県幹部が証言した旨報道したのを初め、同年五月三〇日以降一週間ほどの間に、本件変更契約には赤字補填を図ったものではないかとの疑惑がある旨の新聞報道が合計一五件なされている。
したがって、原告らは、遅くとも平成六年六月上旬には、当該行為とその違法性を基礎付ける事実の存在を知ることができたものというべきである。
(b) そうすると、原告らは、当該行為とその違法性を基礎付ける事実を知ることができた日から約四か月を経過した後に本件監査請求をしたことになるが、「正当な理由」の要件のうち、の「相当な期間」を一か月程度と解することができないとしても、約四か月経過後になされた本件監査請求は、「相当な期間」内になされたものということはできないから、「正当な理由」を欠くものである。
(2) 原告らは、本件変更契約が、専ら被告JV九社及び被告角岡らによる虚偽の見積書に基づいて行われた場合や、あるいは被告JV九社の主導による虚偽の見積書に基づいて行われた場合など、他の県職員らに過失がなく、その不法行為が全く成立しない場合には、本件変更契約及びこれに基づく支出行為が違法、無効といえない場合も想定でき、そのような場合、不法行為の成立する被告らに対する請求権の行使を怠る事実に係る監査請求ついては、法二四二条二項の期間制限の適用を受けないことになると主張する。
しかしながら、本件監査請求は、その請求の趣旨からして、まさに財務会計上の積極的行為たる本件変更契約又はこれに基づく支出の違法、無効を前提とするものであることは極めて明らかであるから、右主張は全く論拠がなく、右「怠る事実」については、監査請求を経ていないということになる。したがって、右「怠る事実」を前提とする訴えは、不適法である。
(3) また、本件訴え中、被告浦上和彦、同角岡照一、同秋山進志、同青山英次、同近藤俊夫に対する請求に係る部分は、いずれも法二四二条の二により特に出訴が認められた住民訴訟の類型に該当しないから、不適法である。
すなわち、右被告らは、本件においてその適否が問題となっている本件変更契約の締結という財務会計上の行為をなす権限を本来的に有するものでもなければ、本来的にこれを有する者から委任を受けるなどしてこれを有するに至った者でもないから、いずれも法二四二条の二第一項四号前段にいう「当該職員」に該当しない。
原告らは、法二四二条の二第一項四号後段の「相手方」に該当すると主張するが、原告らは、本件訴状においては、右各被告が法二四二条の二第一項四号後段の「相手方」に該当するとの主張は全くしていなかった。そして、本件監査請求の趣旨において、被告浦上らが同号後段の「相手方」に該当するとの主張がなされていない以上、原告らが、当初の主張を変更して被告浦上らが同号後段の「相手方」に該当すると主張することは、まさに訴えの変更であり、右変更後の訴えを適法な監査請求を経たものと解することはできない。
(二) 被告奥田信之
(1) 右(一)の(1)(原告今井安榮に関する部分を除く。)及び(2)と同じ。
(2) また、本件訴え中、被告奥田信之に対する請求に係る部分は、いずれも法二四二条の二により特に出訴が認められた住民訴訟の類型に該当しないから、不適法である。
すなわち、右被告は、本件においてその適否が問題となっている本件変更契約の締結という財務会計上の行為をなす権限を本来的に有する者でもなければ、本来的にこれを有する者から委任を受けるなどしてこれを有するに至った者でもない。また、右財務会計上の行為を行った下部職員に対する指揮監督の義務違反を問われる余地がそもそも存在しない。したがって、被告奥田は、法二四二条の二第一項四号前段にいう「当該職員」に該当しない。
なお、原告らは、右被告奥田が、法二四二条の二第一項四号後段の「相手方」に該当すると主張するが、本件監査請求の趣旨において、右被告が、同号後段の「相手方」に該当するとの主張がなされていない以上、原告らが、当初の主張を変更して右被告が同号後段の「相手方」に該当すると主張することは、まさに訴えの変更であり、右変更後の訴えを適法な監査請求を経たものと解することはできない。
(三) 被告寺西学
(1) 右(二)の(1)と同じ。
ただし、被告寺西に関しては、本件監査請求は、平成六年一一月一日になされたものというべきである。
(2) 本件訴え中、被告寺西に対する請求に係る部分は、いずれも法二四二条の二により特に出訴が認められた住民訴訟の類型に該当しないから、不適法である。
すなわち、右被告は、愛知県議会の一議員に過ぎず、財務会計上の行為をなす権限を本来的に有する者でもないし、これらの者から権限の委任を受けるなどして右権限を有するに至った者でもないから、法二四二条の二第一項四号前段にいう「当該職員」に該当しない。
(3) また、本件監査請求における当初の請求の趣旨には、「愛知県知事、副知事、建築部長、総務部長その他の担当職員(退職したものを含む)」と明記されており、愛知県議会議員は全く含まれていなかった。そして、原告らは、監査委員会から平成六年一〇月二四日までに、愛知県知事を除く職員の特定が不十分であるとして補正するよう通知を受けたにもかかわらず、右期間内の補正においても、被告寺西を含めていなかった。
そうすると、本件訴え中、被告寺西に対する請求に係る部分は、法二四二条一項に基づく住民監査請求を経ていないから、不適法である。
(四) 被告JV九社
(1) 右(一)の(1)①及び②と同様の理由により、「正当な理由があるとき」には該当しないから、本件訴えは、不適法である。
(2) 原告らは、本件変更契約が、専ら被告JV九社及び被告角岡らによる虚偽の見積書に基づいて行われた場合や、あるいは被告JV九社の主導による虚偽の見積書に基づいて行われた場合など、他の県職員らに過失がなく、その不法行為が全く成立しない場合には、本件変更契約及びこれに基づく支出行為が違法、無効といえない場合も想定でき、そのような場合、不法行為の成立する被告らに対する請求権の行使を怠る事実に係る監査請求については、法二四二条二項の期間制限の適用を受けないことになると主張する。
しかしながら、財務会計上の積極的行為の違法、無効を観念し得ず、法二四二条二項にいう「当該行為のあった日又は終わった日」が考えられないような「怠る事実」に該当する例は、判決に基づいて支出された場合のような極めて例外的な場合に限られるのであり、同項の期間制限を受けないことを考えると、同項の趣旨を貫くためには、かような「怠る事実」を広範囲で認めることはできず、財務会計上の積極的行為の違法、無効を前提として発生する請求権の不行使という「怠る事実」として構成できるにもかかわらず、これを、財務会計上の積極的行為の違法、無効を観念し得ない「怠る事実」として構成した場合にまで、期間制限の適用を受けないものとすることは到底できない。
原告らの主張は、結局のところ、被告鈴木らや愛知県職員らの「財務会計上の積極的行為の違法」がなかったことを仮定の議論として作出するという手法を用いることにより、財務会計上の積極的行為の違法を前提とする「怠る事実」のほか、観念的に違法がない場合も想定できるとして、そのような場合の「怠る事実」についても監査請求をしていると構成し直したに過ぎず、「財務会計上の積極的行為の違法」に対する監査請求を、見方を変えて単に「怠る事実」に対する監査請求に構成変更したのと何ら変わりはない。このような原告らの主張が是認されるのであれば、財務会計上の積極的行為の違法を前提とする「怠る事実」を、財務会計上の積極的行為の違法がない場合の「怠る事実」に構成変更することがほとんどの事案について可能となり(地方自治体の職員と相手方の共同不法行為の主張のうち、地方自治体側の加担を落とせばよい。)、これにより期間制限の適用を免れ得ることになってしまい、まさに法が期間制限を設けた趣旨は失われてしまう。したがって、原告らの主張のような構成変更は、法の趣旨を損なうものとして許されない。
そもそも、本件監査請求書をみても、知事である被告鈴木らや下級職員である被告角岡らに過失がなく、被告JV九社のみに過失があるという記述にはなっておらず、また、被告JV九社に対する不法行為に基づく損害賠償請求権が、本件変更契約の締結及びそれに基づく公金支出が違法、無効なものであったこととは関係のない別個の行為によって発生したものであるとの記述にもなっていないから、原告らが、そのような損害賠償請求権の不行使を「怠る事実」として、法二四二条一項所定の監査請求をしているとは認められない。
また、財務会計上の積極的行為の違法を前提とする「怠る事実」の監査請求であるか、財務会計上の積極的行為の違法がない場合の「怠る事実」の監査請求であるかの区別は、まさに法二四二条二項の定める期間制限の適用を受けるかどうかの分かれ目となる極めて重要な事項であり、監査請求を受ける側にとっても、両者が明確に区別されていなければ、右期間制限の適用を受けるかどうかの判断ができなくなってしまうから、監査請求において、両者を明確に区別しなければならない。したがって、監査請求書の記載が、財務会計上の積極的行為の違法を前提とする「怠る事実」についてであれば、それだけで、これに加えて財務会計上の積極的行為の違法がない場合の「怠る事実」の監査請求をも予備的又は選択的に行っていると解釈することは到底できないところ、本件監査請求書の記載からして、本件監査請求は、明確に「財務会計上の積極的行為の違法性」を指摘し、それに基づく措置請求となっているから、財務会計上の積極的行為の違法がない場合の「怠る事実」については、未だ監査請求を経ていないということになる。
以上により、原告らが、本件損害賠償請求権の不行使が財務会計上の積極的行為の違法がない場合の「怠る事実」であると主張しても、それに対する監査請求を経ていない以上、本件訴えが適法となるものでない。
第三 当裁判所の判断
一 本件において原告らは、本件変更契約が違法、無効であるとの前提の下に、法二四二条の二第一項四号前段の「当該職員」(被告鈴木礼二、被告奥田信之(主位的主張))に対し不法行為による損害賠償を、本件変更契約の「相手方」である被告JV九社に対し不法行為による損害賠償及び不当利得の返還を、同号後段の「怠る事実に係る相手方」(その余の被告及び被告奥田信之(予備的主張))に対し不法行為による損害賠償を請求しているが、本件変更契約は、平成三年七月九日に締結され、その増額代金は、平成四年三月三一日までに全額支払われている。
したがって、「当該職員」に対する請求及び本件変更契約の「相手方」である被告JV九社に対する請求については、原告らにおいて本件監査請求をした平成六年一〇月五日の時点では、増額代金の支払時から起算しても法二四二条二項本文に規定する一年の監査請求期間を経過していたことになる(増額代金支払時から二年六か月を経過)。
また、財務会計上の行為が違法、無効であることに基づいて発生する実体法上の請求権の行使を怠る事実に係る住民監査請求については、右財務会計上の行為のあった日又は終わった日を基準として法二四二条二項の規定を適用すべきところ(最高裁昭和六二年二月二〇日第二小法廷判決)、本件における「怠る事実に係る相手方」に対する損害賠償の請求については、本件変更契約が違法であることが各不法行為の成立要件となっているから、いずれも、本件変更契約が違法であることに基づいて発生するものであり、本件監査請求の時点においては、同項本文に規定する一年の監査請求期間を経過していたことになる。
もっとも、原告らは、本件変更契約が、専ら被告JV九社及び「当該職員」に当たらない被告角岡らにより作成された虚偽の見積書に基づいて締結された場合や、被告JV九社の主導により作成された虚偽の見積書に基づいて締結された場合など、他の県職員らに過失がなく、その不法行為が全く成立しない場合には、本件変更契約及びこれに基づく支出行為が違法、無効とはいえない場合も想定でき、そのような場合、不法行為の成立する被告に対する「怠る事実」については、法二四二条二項の期間制限の適用を受けないことになるから、その部分に関しては、適法な監査請求を経ていることになると主張する。
しかしながら、被告角岡ら、知事の補助職員において原告らの主張するような態様の違法行為を行った場合には、仮に本件変更契約の県側締結者がそのことを知らなかったとしても、本件変更契約は違法、無効というべきであるから、原告らの請求は、本件変更契約が違法、無効であることに基づく請求に当たることになる。
さらに、証拠(甲一の一ないし三)によると、原告らが本件監査請求に際して提出した愛知県職員措置請求書(補正後のもの)には、「赤字を補填するため、愛知県建築部及び総務両部の幹部は、JV九社の要請を受け、項目ごとに工事単価を水増ししたり、本来、業者が負担する工事を契約に組み入れるなどして、平成三年二月頃、一二項目にわたる総額二九億五八〇〇万円の「設計変更予算」を組み上げ、もって補填財源を捻出した。」「以上のとおり、本件変更契約は、違法・不当で無効なものであり、同県に不当な損害を与えている。」「赤字補填のための水増し予算操作に加担し、愛知県に損害を与えた愛知県知事、平成三年当時の副知事奥田信之、平成三年二月当時の建築部長浦上和彦、建築部技監角岡照一、建築部営繕課長秋山進志、総務部次長青山英次、同年七月当時の建築部長島崎勉、建築部技監近藤俊夫、県会議員寺西学に損害を賠償又は返還させること。」と明確に記載されていたことが認められる。
そうすると、本件監査請求は、本件変更契約が監査を求める財務会計上の行為であると特定した上、その違法、無効であることを前提として愛知県の被った損害を補填するために必要な措置を講ずるよう求めるものであって、本件変更契約が違法でないことを前提として、被告JV九社等に対する損害賠償請求権の行使を怠る事実といった、これと内容的に矛盾する怠る事実を対象として監査請求を求めたものとみることはできない(前示のように、原告らは、本件において本件変更契約及びこれに基づく公金の支出が違法であるとの前提で各請求を行っており、本件変更契約が違法でないとの具体的な事実主張をしていないし、具体的な事実主張をしているとしても、その点について監査請求を経たとはいえないことになる。)。
したがって、原告らの右主張は、採用することができない。
そうすると、本件訴えは、本件監査請求の期間を徒過したことにつき、法二四二条二項ただし書に規定する「正当な理由」がない限り、適法な監査請求を経たことにはならない。
二 そこで、次に、原告らに右「正当な理由」があったかどうかについて判断する。
1 まず、法二四二条二項本文は、普通地方公共団体の執行機関・職員の財務会計上の行為は、たとえそれが違法、不当なものであったとしても、いつまでも監査請求ないし住民訴訟の対象となり得るものとしておくことは法的安定性を損ない好ましくないとして、監査請求をすることのできる期間を当該行為のあった日又は終わった日から一年と限定したものである。しかし、いかなる場合にも右の趣旨を貫くことは相当ではない。そこで、同項ただし書は、「正当な理由」があるときは、例外として、当該行為のあった日又は終わった日から一年を経過した後であっても、監査請求をすることができるものとしたものである。
もっとも、同項本文が、住民において当該行為があったことを知っていたか否かを問わず、一年という短期間で監査請求ができなくなると定めていることからして、法が、早期に財務会計上の行為の法的安定を図ろうとしていることは明らかである。
そうすると、同項ただし書に規定する「正当な理由」もその趣旨に従って解釈すべきであり、天災地変による交通途絶により請求期間を徒過した場合、当該行為が秘密裡に行われたため請求期間経過後初めてその存在が明るみに出た場合のように特段の事情のある場合でなければ「正当な理由」があるとすることはできない。
そこで、本件についてこれをみるに、証拠(甲二の一ないし四、乙イ二、三、乙イ四の一、二、乙イ五、六)と弁論の全趣旨によれば、本件変更契約については、平成三年六月開催の定例県議会において「工事請負契約の変更について」と題する第一三〇号議案が提出され、同年七月八日に議決されたこと、右議案の内容につき、平成三年六月一三日付け中日新聞及び読売新聞の各朝刊、同月二五日付け朝日新聞朝刊、同年七月四日付け中日新聞朝刊でそれぞれ報道されたことが認められるので、本件変更契約の締結そのものが秘密裡になされたとすることはできない。
しかしながら、原告らの主張するところによると、本件変更契約は、県当局と被告JV九社とが、被告JV九杜の赤字補填のため、工事単価の水増し等により適正な対価をはるかに超える工事金額を算定した上、その点を隠蔽して締結したものであるというのであるから、仮にそのような事実があれば、本件変更契約には、実質的に贈与に相当する部分があり、その部分の存在が隠蔽されていたことになる。そして、そのような場合には、本件変更契約には、その行為自体が秘密裡になされた場合と同様にその違法性、不当性を判断する上で極めて重要な前提事実が隠されており、その結果として、行為が秘密裡になされた場合と同様に住民が相当の注意力をもって調査したとしても監査請求の対象とすることができない状態にあったといえる。
そうすると、本件変更契約に右のような事情が認められる場合には、「正当な理由」の有無の判断においては、本件変更契約が秘密裡になされた場合と同様に取り扱うべきである。
もっとも、右のような事情が認められる場合でも、「正当な理由」の有無は、住民が相当の注意力をもって調査したときに、客観的にみて、実質的に贈与に相当する部分が隠蔽されているのではないかという合理的疑いを持つことができた時から相当な期間内に監査請求をしたかどうかによって判断すべきである。
2 そこで、次に、原告らがどの時点で、本件変更契約が被告JV九社の赤字補填のために締結されたものであるとして、増額代金中に実質的に贈与に相当する部分が隠蔽されているのではないかという合理的疑いを持つことができたかについて検討する。
(一) 証拠(甲三の二、一一、甲四の一、三、九、甲五の一八、乙イ九)と弁論の全趣旨によれば、平成六年五月末から同年六月中旬にかけての新聞に、以下の記事が記載されていたことが認められる。
① 同年五月三〇日付け朝日新聞朝刊
「朝日新聞の取材でも、九社からなる共同企業体(JV)に参加した複数の業界関係者が「十億円以上が赤字埋め合わせに回された」と証言、会社の内部資料もその疑惑を裏付けている、という。」「さらに完成一年前の九一年六月に設計変更して二十九億六千万円を組み、最終的な請負額は四百五億円ほどになった。関係者が「赤字埋め合わせ」に使われたと指摘するのは、設計変更による二十九億六千万円。関係会社の内部書類によると、約四百五億円の請負額となった時点での赤字見込は二十三億八千万円だったのが、決算時点での赤字は十二億七千万円と、約十一億円も減っていた。」など。
② 同年六月二日付け中日新聞朝刊
「……愛知芸術文化センター建設工事で、平成三年六月に行った三十億円近い追加補正予算には、工法を変えるという手法で実質的に“赤字補てん”した約十億円が含まれていたことが一日、中日新聞の調べで分かった。議会では地下鉄振動対策としか説明しておらず、……」「三年六月、工事請負契約変更として約二十九億六千万円の補正予算案が計上された。議会では、総務企画委員会の答弁などで「地下鉄の振動対策などに伴う設計変更」との説明だけで、詳細は明かされていなかった。しかし、当時の建築部職員らの証言によると、設計変更は約十項目に及んでいた。地下鉄騒音対策は数億円にすぎず、プレハブ工法への変更が十億円余、地下水対策も数億円、舞台装置の工程変更、発注段階で含まれていなかった消費税分などだったという。“赤字補てん”とみられるのは、十億円余に上るプレハブ工法への変更。」など。
③ 同月四日付け中日新聞朝刊
「しかし、県側が三年六月県議会に突然、工事請負契約変更として二十九億六千万円を追加する補正予算案を上程。「地下鉄の振動、騒音対策」など簡単な説明だけで、十分な審議もないまま可決された。当時の県建築部職員らの証言によると、地下鉄騒音対策費は数億円にすぎず、バブル期の建設ラッシュによる職人不足を補うため、当初の型枠工法から、工場で造ったハリや柱を現場で組み立てるプレハブ工法への変更に伴う“赤字補てん”分約十億円が盛り込まれていたという。しかし、設計に詳しい業界関係者は「プレハブ工法の方が型枠工法より安上がりにできるはずで、工法変更による赤字補てんというのは理屈に合わない。三十億円の大半が、本体工事全体の赤字補てんをするための水増しだったのではないか」と指摘している。」など。
④ 同月四日付け朝日新聞朝刊
「入手した「新文化会館栄地区施設建築工事・変更図」や関係者の説明によると、約三十億円をかけた設計変更の内容は、①外壁に使う花こう岩の石種変更②浮壁材料を成型セメント板からプラスターボードに変更③一部の壁を二重壁にする④浮床方式を一部変更⑤型枠工法からプレハブ工法への変更――などとなっている。」「こうした変更について、本体工事の入札に参加したゼネコン(建設総合会社)関係者の一人は「防音対策などを名目に掲げているが、図面などから見ると、防音より業者が赤字削減のしやすい内容への変更が主になっている」という。」「関係会社の内部資料では、バブル期の工事費高騰のあおりで二十三億八千万円まで膨れ上がると見込まれていた芸文センター建設の赤字額は、決算時点では十二億七千万円にまで減っていた。」「一九九一年六月の県議会などでの県の説明では「センターのすぐ横を地下鉄東山線が走り、予想外の騒音や振動の影響を受けることがわかり、設計変更した」と、地下鉄の防音対策だけを追加工事の理由にあげていた。」など。
⑤ 同月七日付け毎日新聞朝刊
「……愛知芸術文化センター(名古屋市東区)の約三十億円の追加予算が、「大成建設を幹事社とする九社の共同企業体(JV)の赤字を補てんする目的で組まれていた」と元県幹部が六日までに証言した。」「証言によると、三百六十五億円で落札された同センターはバブル期の建材や人件費の高騰で、発注時から赤字となっていた。約三十億円の追加予算はJVの赤字発注を補てんするため、建設資材などの単価をわざとアップさせて積算したという。当時、議会では「地下鉄の振動対策に伴う設計変更などのため」と説明されたが、地下鉄の振動は設計当初から分かっており名目に過ぎなかった。「振動対策ということにしておこう、という合意が内部にあった」という。」など。
⑥ 同月一五日付け中日新聞朝刊
「……、不透明さが指摘されている愛知芸術文化センターの約三十億円の追加工事で、設計変更されたのは十二項目に上るが、当時の財政当局が作った県議会への説明資料は、最も金額がかさんだ工法変更の表現を一切削除して九項目とされていたことが十四日、分かった。社会党などは説明不足が意図的だったことを示す証拠とみており、……」「この問題が発覚して以後に同県総務部などが説明しているのは、設計変更は①浮き床の構造②躯体(くたい)工事の工法及び水替え工事③ホール遮音壁材④ホール客席の構造⑤劇場型ホール舞台機構の工法⑥同機構の構造――など十二項目。当時の予算執行書に添付された設計変更の説明書などで明らかになったとしている。ところが、この設計変更に伴う契約変更が議案として提出された平成三年の六月議会で、財政課が議案説明用に作った赤ペン書きの書類では九項目に削られ、「工法変更」という表現が一切消えていた。減った三項目のうち二項目は⑤と⑥を合わせたなどと説明がつく内容だが、型枠工法からプレハブ工法への工法変更をさす②の「躯体工事の工法及び水替え工事」という一項目は全く削除され、①が「浮き床等の構造」と書き替えられていた。」「元県職員は「工法変更分が合わせて十億円前後あった」と証言しており、県当局が議会で「工法変更は業者負担が当然。追加予算はおかしい」と指摘されないよう意図的に説明した可能性が強い。」など。
(二) 以上の事実とテレビ、ラジオ等他のマスコミによっても本件変更契約が被告JV九社の赤字補填のためにされたものでないかとの疑惑があるとのニュースが伝えられていたと推認できること(右(一)認定の事実による。)からすると、住民が相当の注意力をもって調査すれば、遅くとも平成六年六月一六日までには、客観的にみて、本件変更契約が被告JV九社の赤字補填のために締結されたものであり、増額代金中に対価性がない部分、すなわち実質的に贈与に相当する部分が含まれているのではないかという合理的疑いを持つことができたというべきである。
3 次に、原告らが、右の時点から相当期間内に本件監査請求をしたといえるかどうかについて判断する。
まず、住民監査請求をするには、対象となる財務会計上の行為である本件変更契約を特定する必要があるが、前示1のとおり、本件変更契約は、議会の議決を経て締結され、また、新聞報道の対象となったものであるから、これを特定することが困難であったとすることはできない。
さらに、その必要最小限の違法事由は、前示2(一)に判示した新聞報道に基づき措置請求書に記載することができたものと認められる。
また、法二四二条一項は、監査請求の際には「証する書面」の添付を求めているが、その趣旨は、監査請求が濫用にわたることを防止するとともに、監査請求書と相俟って監査委員の監査の指針ともなるべき資料を提供させることにあり、特別の形式は不要であって、それが事実の証明にどの程度役立つかどうかの吟味も不要であると解されている。また、法二四二条五項により、監査請求人は、講求後、監査委員に対して証拠の提出及び陳述をする機会を与えられることになっているので、監査請求前にすべての証拠を収集しておく必要はない。
したがって、監査請求に慎重を期し、あるいは、監査請求後の訴え提起を考慮して、監査請求前にある程度の事実関係の調査や証拠の収集をする必要があるとはいえ、前示の六月一六日から三か月以内に監査請求をすべきであり、その期間を経過した一〇月五日になされた本件監査請求については、相当な期間内になされたとすることはできない。
4 そうすると、本件においては、原告らが、監査請求期間を徒過したことにつき、「正当な理由」があったとすることはできない。
三 したがって、本件訴えは、適法な監査請求を経たものとは認められない。
第四 総括
以上判示したところによれば、本件訴えは、不適法であるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官岡久幸治 裁判官森義之 裁判官田澤剛)
別紙訴状送達の日の翌日<省略>